Uposatha

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AN 1.268–277

第二十一 第一

Paṭhamavagga

Aṭṭhānavagga

268

「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人がある状況が永続するとみなす事は不可能で起こり得ません。あり得ません。 しかし、凡人がある状況は永続するとみなす事は可能です。あり得ます。」

269

「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人がある状況は心地良いとみなす事は不可能で起こり得ません。あり得ません。 しかし、凡人がある状況は心地良いとみなすことは可能です。あり得ます。」

270

「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が何かを自分だとみなす事は不可能で起こり得ません。あり得ません。 しかし、凡人がなにかを自分とみなすことは可能です。あり得ます。」

271

「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が自分の母親を殺す事は不可能で起こり得ません。あり得ません。 しかし、凡人が自分の母親を殺す事は可能です。あり得ます。」

272

「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が自分の父親を殺す事は不可能で起こり得ません。あり得ません。 しかし、凡人が自分の父親を殺す事は可能です。あり得ます。」

273

「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が大成者(阿羅漢)を殺す事は不可能で起こり得ません。あり得ません。 しかし、凡人が大成者(阿羅漢)を殺す事は可能です。あり得ます。」

274

「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が悟った方を悪意から傷つける事は不可能で起こり得ません。あり得ません。 しかし、凡人が悟った方を悪意から傷つける事は可能です。あり得ます。」

275

「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が僧侶の一団を分裂させる事は不可能で起こり得ません。あり得ません。 しかし、凡人が僧侶の一団を分裂させる事は可能です。あり得ます。」

276

「托鉢僧侶たちよ、正しい物の見かたを得た人が(ブッダと)違う人を先生だと認める事は不可能で起こり得ません。あり得ません。 しかし、凡人が(ブッダと)違う人を先生だと認める事は可能です。あり得ます。」

277

「托鉢僧侶たちよ、二人の大成者、完全に目覚めたブッダが同時に同じ太陽系に現れる事は不可能で起こり得ません。あり得ません。 しかし、大成者、完全に目覚めたブッダが一人だけある太陽系に現れる事は可能です。あり得ます。」

Über diese Übersetzung

Kaz Takehara · CC0

Mögen alle Wesen glücklich sein